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コード進行出尽くしてる論は本当か?

誰が言い始めたか知りませんが「コード(和音)の進行はクラシックの時代から現代までで出尽くしてるから、もう革新的な曲は生まれないよ」みたいな言葉を聞いたことありませんか?もしそうだったら面白くないので、ちょっと真偽を考えてみたいと思います。

美術も出尽くしてる?

 

いきなり音楽の話からそれますが、ゲームやパソコンのソフトで初めて画面に(デジタルの)絵を描いた時ってすごくテンションが上がりませんでしたか?

 

初期のペイントソフトは、大きなマス目の1つ1つを何かの色で塗るような雰囲気だったと記憶してます。

 

当然画像が粗くカクカクでしたが、それはそれで味がありました。

 

 

 

そこで昔考えたのが、解像度が低くてそれほど大きくないキャンバスなら、描ける絵のパターンはそれほど多くないのでは?ということです。

 

例えば10×10のマス目を白か黒かで塗りつぶすシンプルな絵ならどうでしょうか?

 

1つ目のマスが白か黒、2つ目のマスが白か黒・・と10×10=100マス分考えていくと・・。

 

2×2×2×2・・なんと2の100乗通りの絵が描けることになります!

 

 

 

これは京(けい)の桁を優に超える数になりますね・・。

 

その中には絵に見えないパターンも多いと思いますが、それはある意味見方次第ですね。

 

現実では白黒だけでなく様々な色で塗られるので、とてつもないことになります。

 

 

 

絵の話はちょっと想像すれば分かる私の間抜けな考えですが、複雑な物事を簡略化して考えられないかという思考は誰しも持っているのではないでしょうか。

音楽ではどうか

 

閑話休題・・音楽の話に戻ります。

 

コード進行も単純に組合せで考えると、それこそ無数に作れるはずです。

 

それでは何故コード進行出尽くしてる論が出るかというと、音楽には多くの人がイメージする「型」のようなものがあるからではないでしょうか。

 

 

 

「型」はある音楽ジャンルの曲や、ある有名アーティスト風の曲などと考えても良いかもしれません。

 

イメージする「型」から逸脱した曲を聴くと、あまり良い曲だと思いません。

 

例えば定番のコード進行がでてこないJ-POPは若年層から支持を得られるでしょうか?

 

 

 

それぞれの「型」の中で見ると、同じようなコード進行が用いられることが多いです。

 

もちろんコード進行にバリエーションがあったり複雑に発展していることもありますが、急にガラッと変わることはありません。

 

コード進行出尽くしてる論は、成熟してきた1つの型だけを見たときのある種の閉塞感と、物事を簡略化したいという思考が合わさって生まれたのではないでしょうか。

 

 

 

一応断っておきたいのは、聴いたことがあるようなコード進行を使ったからといってその曲にオリジナリティがないわけではないことです。

 

例えばブルースとか演歌などはコード進行を見ただけでは違いが分からないことが多いですが、別にオリジナリティのない音楽ジャンルではありません。

 

コード進行が同じでも全く別の曲として成立するのが、音楽の懐の深さですね。

 

 

 

そもそもコード進行出尽くしてる論は音楽にはコード進行があるという前提ですが、それもどうでしょうか?

 

各国の民謡や伝統音楽、モードジャズなど・・和音が進行しなくても成り立つ曲は山ほどあるります。

 

そう考えると、コード進行出尽くしてる論は「外食は体に悪いから食べるな!」みたいな極論で見る人の興味を惹くネット広告のキャッチコピーみたいなものかもしれません。

 

 

 

そんな誰の言ったかも分からない言葉について脈絡なく書いてきましたが、最初あったネガティブな感じを払拭できたでしょうか?

 

どちらにせよ「新しいコード進行」もとい「新しい音楽」はどんどん生まれてくるはずです。

 

私達も、昔の曲に加えて新しい曲もどんどん聴いて血肉にし、少しでもオリジナリティがある曲が書けるようになったら良いですね。

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