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音楽評論家は楽器を演奏できるべきか?

大仰なタイトルをつけていますが、別に音楽評論家の方に物申したい訳ではありません。ただ、音楽が好きはずの音楽評論家が、なぜ自分で歌ったり演奏したりしないのか、ずっと疑問に思っていました。今回、その謎が少しだけ解けてきた気がするので、ブログにまとめてみたいと思います。

先日、料理の心得のある人から面白い話を聞きました。

 

レストランなどで他人が作ったおいしい料理を食べた時に、その料理に何の材料が使われているかや、どのように調理したのかを考えながら食べるクセがあると言うのです。

 

それも調味料の配分や加熱時間など、かなり細かい部分まで分析し、機会があれば自分で再現したりするようです。

 

私も料理をしますが、作ってもらったものはただおいしいな~と思って食べるだけなので、感心してしまいました・・。

 

 

 

分析をすることで味覚も鋭くなっていきそうですし、創作料理のように自分で新しいものを作る際にも、既存の料理の情報が活かそうです。

 

また、実際に作ってみることで調理の技術も上がるでしょうし、分析した結果が正しかったか、修正が必要なのかも分かります。

 

そういった分析や実践ができる(しようと思う)人は、きっと料理人に向いているんでしょう。

 

 

 

一方で、世の中には料理を評論する人もいます。

 

テレビや雑誌に出てくる有名な料理評論家だけでなく、身の回りにいるやたらおいしいお店に詳しかったり、シェフのパーソナルな情報に詳しかったりする人もそれに該当します。

 

そういった人達も、ある程度は料理自体を分析したり自分で調理したりすると思いますが、料理人ほど深掘りしているイメージはありません。

 

どちらかというと、料理にまつわる歴史や文化面に詳しかったり、お店ごとのおすすめメニューや裏メニューのデータベースを自分の中に持っていたりするはずです。

 

これは、食べることはもちろん好きですが、料理をすること以外に注力していると言えそうです。

 

このように、様々な要素から構成されているものを、細かく分析したり整理したりするのは、物事を理解するための基本的な行動ではないでしょうか。

 

語源は違うかもしれませんが、科学という言葉も全体を「科」に分けて体系的に整理するという意味を含むため、今日のように広く浸透したのではないかと思っています。

 

全体をパッと見ただけでは分からないが、小さく分解して考えて少しずつ謎を解いていく・・。

 

料理人と料理評論家は両方が同じことをやっており、焦点を当てている部分が異なっているだけです。

 

 

 

ここまで長々と音楽以外のことを書いてきましたが・・料理人を演奏者、料理評論家を音楽評論家に読み替えたものが今回の結論になります。

 

それぞれの視点が異なるため、一方が見えて当たり前だと思っていることも、もう一方の視界には入りません。

 

もちろん共通して見えるものもありますが、立場が異なるとその見え方も違ってくる可能性があります。

 

 

 

そう考えると、基本的にお互いの意見が相容れないのは、致し方ない気がしますね。

 

批判してきた音楽評論家に「そんなこと言うんだったらお前が演奏してみろ!」のようなコメントをする演奏者がいますが、それは自分の立場でしか考えられていない的外れな言葉なのかもしれません(気持ちは分かりますが・・)。

 

それに、音楽評論家がもし本当に「演奏者の気持ちが分かるように楽器を一生懸命練習しよう!」となったとしても、視点が演奏者側にずれていってしまい、本業の音楽評論がつまらなくなる可能性があります。

 

鍛錬に長い時間がかかる楽器に比べて、言葉で表現する評論の方が簡単で楽という意見もあるかもしれません。

 

しかし、誰もができるからこそ、価値を付加するのが難しいとも言えます。

 

それこそ、お金になるような評論活動をするには、楽器の鍛錬に勝るとも劣らない何かを身に付けていないとできないはずです。

 

 

 

そういえば、ここまで演奏者と音楽評論家の2つの視点から見てきましたが、もう1つ、純粋に音楽を楽しみたいだけのリスナーの目線を忘れてました。

 

音楽評論をたまに参考にしながら、自分なりに演奏者の音楽を聴くリスナーにとっては、評論家が演奏しようが演奏者が評論しようが、別に何だって構わないはずです。

 

今回のテーマである「音楽評論家は音楽を演奏できるべきか?」という問いかけも、演奏者の立場からしか出てこない、あまり意味のない疑問なのかもしれません。

 

 

 

結局、他人の立場になって考えるのが大事です、みたいな所に落ち着いてしまいました。

 

しかし、今回と同じような事例は料理や音楽以外、例えばスポーツやゲーム、映画などの分野でもよく見られます。

 

自分の立場だとモヤッとすることも、少し落ち着いて視点を変えて考えてみると、案外当たり前だったり、すんなりと受け入れられることも、あるのかもしれません・・。

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